鍬形地蔵さま
2009年 02月 27日
地蔵院はその名の通りお地蔵さまをおまつりしているお寺です。
当山の開祖は行基菩薩さまです。
聖武天皇の勅願によって神亀三(726)年に地蔵堂が創建されたのが始まりです。地蔵菩薩像はその時に行基菩薩が自作されたと伝わっております。
その後は移転したり、お堂が焼失したりしていますが、どういうわけか地蔵菩薩像だけは傷つくことなく現在もその姿を変えることはありません。(修復はなされておりますが・・・)
当山のお地蔵さまは「鍬形(くわがた)地蔵さま」とも呼ばれています。
これは昔から伝わる説話です。
地蔵院の建っている土地はその昔は大将軍村といい、田んぼに囲まれた村だったそうです。地蔵菩薩様も地元農民から篤く信仰されていました。
あるとき、日照りが続き、田んぼに引く水が不足してしまいました。村人は川の水を分け合って田んぼに引いていました。ところがある男が強引にその少ない水を自分の田んぼにばかり引こうとするのです。
男の自分勝手な行いに村人が困っていたところ、一人のお坊さんが男の前に現れました。
お坊さんは男に自分勝手な振る舞いを止めるように諭したのです。しかし男は腹を立てて、なんと持っていた鍬でお坊さんの顔を殴りつけてしまったのです。
しかしお坊さんは顔を怪我したにもかかわらず、腹を立てることもなく何も言わずその場を去っていきました。
男が不思議に思ってお坊さんの後をつけていくと、お坊さんは地蔵院の中にある地蔵堂に入っていきました。
中をのぞいてみても誰もいない。よく見るとお地蔵さまの頬に鍬の傷がついているではありませんか。
お地蔵さまがお坊さんの姿になって、自分勝手なことをしないように諭してくれたのです。
それ以来、男は改心して、自分の田んぼにだけ水を引くということをしなくなりました。
このことから、当山の地蔵菩薩さまは鍬形地蔵さまと呼ばれるようになったといいます。
鍬形地蔵菩薩さまは地蔵菩薩洛陽四十八箇所十二番の霊場で
御詠歌は次のとおり
津の国の 昆陽の古寺をふりすてて 九重てらす法のともし火

↑鍬形地蔵菩薩像

↑山門より入って正面に見える地蔵堂
当山の開祖は行基菩薩さまです。
聖武天皇の勅願によって神亀三(726)年に地蔵堂が創建されたのが始まりです。地蔵菩薩像はその時に行基菩薩が自作されたと伝わっております。
その後は移転したり、お堂が焼失したりしていますが、どういうわけか地蔵菩薩像だけは傷つくことなく現在もその姿を変えることはありません。(修復はなされておりますが・・・)
当山のお地蔵さまは「鍬形(くわがた)地蔵さま」とも呼ばれています。
これは昔から伝わる説話です。
地蔵院の建っている土地はその昔は大将軍村といい、田んぼに囲まれた村だったそうです。地蔵菩薩様も地元農民から篤く信仰されていました。
あるとき、日照りが続き、田んぼに引く水が不足してしまいました。村人は川の水を分け合って田んぼに引いていました。ところがある男が強引にその少ない水を自分の田んぼにばかり引こうとするのです。
男の自分勝手な行いに村人が困っていたところ、一人のお坊さんが男の前に現れました。
お坊さんは男に自分勝手な振る舞いを止めるように諭したのです。しかし男は腹を立てて、なんと持っていた鍬でお坊さんの顔を殴りつけてしまったのです。
しかしお坊さんは顔を怪我したにもかかわらず、腹を立てることもなく何も言わずその場を去っていきました。
男が不思議に思ってお坊さんの後をつけていくと、お坊さんは地蔵院の中にある地蔵堂に入っていきました。
中をのぞいてみても誰もいない。よく見るとお地蔵さまの頬に鍬の傷がついているではありませんか。
お地蔵さまがお坊さんの姿になって、自分勝手なことをしないように諭してくれたのです。
それ以来、男は改心して、自分の田んぼにだけ水を引くということをしなくなりました。
このことから、当山の地蔵菩薩さまは鍬形地蔵さまと呼ばれるようになったといいます。
鍬形地蔵菩薩さまは地蔵菩薩洛陽四十八箇所十二番の霊場で
御詠歌は次のとおり
津の国の 昆陽の古寺をふりすてて 九重てらす法のともし火

↑鍬形地蔵菩薩像

↑山門より入って正面に見える地蔵堂
by tsubakidera
| 2009-02-27 18:45
| 鍬形地蔵菩薩